文京区で働く薬剤師が父に気づかされたこと

病院で診察が終わったら診察台を払い、処方箋をもらいますよね。そのまますぐに薬局に行くのは危険です。処方箋をちゃんとチェックしたほうがいいでしょう。

・・・ということを、患者さんに伝えるようにと、文京区で薬剤師をしている私に実家の父から連絡がありました⇒薬剤師 求人 文京区

父の言い分はこうです。
医師がくれると言ったお薬や入っていなかったり、量が間違えて記載されていることがあるからです。「そんなことあるの!?」という方もいるかもしれませんが、実際にあります。もちろん、きちんとチェックされていて絶対に間違えない病院もあるでしょう。でもなかにはちょっといい加減なところもあるのです。特に薬の種類や量が変わったり、新しい薬を出してもらう時などは注意です。受付で処方箋をもらったら、すぐに病院から出ないで、その場で(邪魔にならない場所に移動して)処方箋の内容があっているかちゃんと調べた方がいい。

父は何度か間違えて薬を処方されたことがあるそうです。いらないといった薬が入っていたり、いつも入っているはずの薬が欠けていたり、です。普通は薬局で気づくと思いますが、万が一気づかずに家に帰ってしまったら、また病院に行ったりするのは面倒です。薬局で気づいた場合は病院に電話したりして確認してくれることもあるでしょうから、遠慮せずに指摘したほうがいいでしょう。確かに、父のいう通りだな、と思いました。

父との電話で私がアドバイスしたこともあるんですが、たくさんお薬をもらう場合は処方箋チェックが大変ということもあるので、お薬手帳を用意しておいて見比べるというのもいいですね。これなら簡単です。また、以前もらった薬袋を持っていくというのもアリです。お薬の種類や量が記載されているので見やすいですよ。

医師のほうも、たくさんの患者を相手していて、若干ながれ作業的に薬を出している人もいると思います。そういう医師は、患者側がはっきり申し出ても、きちんとメモしてくれていないか、薬の変更をし忘れて処方箋を出してしまうこともあるのでしょうね。

父のいうとおり、あんまり出された処方箋を信頼し過ぎず、「医者でも間違えることもある」ということを覚えておくといいんじゃないかと思います。

パート薬剤師として働く私を見守っていてね

私の母は、子供たちを心から愛する小学校教師でした。
50歳を過ぎても生徒たちとのプロレスや100mと競争をやめようとはしませんでした。そんな彼女が癌と戦って亡くなったのは72歳。息子がこう言うのも何ですが、本当に見事な最後でした。

最初の癌は65歳の時で、彼女は病室に同居する仲間が次々に亡くなっていく様子に「次は自分だ…!」といつも怯えていました。そして私も、近いうちに彼女がこの世から消えてしまうであろう恐怖に怯えていました。「何も出来ない…!」と思うたびに無性に悲しくなり居酒屋で飲んでは泣いていました。

そんな中で当時高価で入手が難しかったアガリクスの事を知り、借金をしてまで大量に買い求め、手順通りに煎じて母親に飲ませようとしましたが、抗がん剤の副作用で吐き気が止まらない中、独特の匂いが鼻について飲める状態では有りませんでした。それでも諦めずにこっそりお茶や味噌汁に混ぜたりしましたが鼻が敏感な彼女はすぐに見抜いてしまいます。それでも続けているとこちらの気持ちを察してか、少しずつ飲んでくれるようになったのです。

その後少しずつではありますが、体調は回復に向かうようになりました。そしてついに退院…家からの通院が許されるようになると、私は前にもましてアガリクスの量を増やすようになりました。ラットでの実験テータを示して説明すると「あたしはネズミじゃない!」など不満を言いつつも我慢してくれたのです。

そしてついにもう一度開いてみましょうとの医師の言葉に応じての再手術では爪の先ほどの小さい部分を残して殆どが摘出でき、大好きな弓技に再度復活することが出来たのです。その後再発を迎えましたが、彼女は我慢強く戦い続けて最後は苦痛なく静かな最後でした。臨終を迎えた最後の日に酸素マスクをつけたまま見舞い客を笑わせ、脈が止っているのに自分から下着を着替えて看護師さんたちを驚かせました。

私はと言えば少し眠りかけた母親のそばで3回もつまづいて大きな音を立ててしまい、若い看護師さんが巡回にくるたびに口に茹で玉子を加えている始末…最後に聞いた母親の言葉は「早く寝なさい」でした。

母親が眠ったと思った頃に数人の看護師さんが病室を訪れて既に亡くなっていることを知りました。「我慢強い患者さんでした」と涙ぐむドクターの言葉…穏やかで静かな、誇り高き母の臨終に立ち会えたことを心から感謝しています。

そんな母の元で育った私は薬剤師です。
結婚して出産し、子供も少し大きくなったので復帰しようかどうか迷っていましたが、母も私を育てながら立派に教師として勤め上げたのだし、母の子なのだから大丈夫!と東京でパート薬剤師として働き始めました。

その時参考にしたサイトがコチラです→http://xn--fdkr3kr08j54d4mv5jp060d.com/

きっと天国から私が育児に家事に仕事に、と奮闘している姿を、母も見守ってくれていることと思います。

半年に1度の定期健診のはずが子宮全摘

診察
フェロ・グラデュメット1日1錠で貧血を抑えて、子宮筋腫の症状を耐えること1年。
あまりにも出血が酷く、昼間にもかかわらずトイレに間に合わない時もあって、病院へ行きました。

前回11月に行った時、次は3か月~半年後と言われていたので、3月上旬に行ったのですが、半年毎の定期健診でいいと、問診で帰されました。
症状は悪化の一途で手足に力が入らなくなり、ひざ下が痺れて、脱水症状のように口の中が乾き、食事を抜くこともありました。
干からびた巨大ミミズのような血の塊を排出したり、精神的にもかなり追い込まれてきた時、ようやく半年が経ちました。
でも、病院に電話をしたら、担当医は産科のみの診療に変わっていて、引き継ぎもされていませんでした。

ただ、これがある意味好機でした。
他の先生に診てもらったことで、すぐにMRIの検査をしました。
それまで粘膜下筋腫で3センチ程の悪さをしているもの以外に数個ある、と言われていたのが、実はそれだけじゃないことが判明しました。
粘膜下筋腫としょう膜下筋腫があり、最大4センチ、合計30個、というのが検査結果でした。
そして先生から言われたのは、処置としては子宮全摘、でした。
念のため、止血剤のトラネキサム酸錠250mgを服用しつつ、スクレキュア点鼻薬を試しました。
しかし私の場合、止血にはならず、延々出血が続いてしまいました。
その後総合病院へ移り、手術をすることになりました。
腹腔鏡手術をするつもりでいたので、あっさり覚悟をして行ったのですが、半年先まで予約待ちだと言われました。
心身ともに限界だったので、とてもそんなには待てませんでした、
そこで、開腹手術を受けることにしました。
はっきり言って、冷静になって考える時間なんてありませんでした。
でも約1か月半後に、無理やり予定を入れてもらえたので、もうまな板の鯉の覚悟です。
春先に半年の定期健診だと言われたのが、秋には開腹して子宮を取りました。

術後、3週間で残した卵巣の右側が炎症を起こしました。
それは抗生物質を5日飲むことで治まりました。
1つの症状が落ち着くのに、月単位の時間がかかります。
今現在術後1か月半、卵巣のう種の恐れを抱いて社会復帰に向けて体力づくりの最中です。